ブサのチー牛に一寸の光が射す、感動のソープ体験
地域:愛知県 /稿者名:暗黒のチー牛 /満足度:100点
ソープは本当に良いぞと友人から聞いた私だが、どうもしっくりと来なかった。なぜなら、そもそも料金は2万3万とかかるし、私のような「おじ」だと、「やだ……気持ち悪い……」と態度で示される懸念があるからだろう。
私は携帯の部品を組み立てる工場で、1人黙々と作業をするしがない男。飲み会でも除け者にされる始末なのだが、根本的に被害妄想が強いと言われてきた。家族からも「あんた、被害妄想がひどすぎる」と蔑まれたほどである。
となると当然ながら私は「モテナイ男」なのだが、アラフォーになって、もうセックスなんて10年以上もご無沙汰だ。
恥ずかしながら出会い系で、「ドム」と呼ばれるくらい、80Kg台の、「どでかい」女性としたのが最後だった。もちろん興奮は皆無で、その女性はAVのような喘ぎ声もない。
私がピストンをしているときも「ふん、ふん」という野生動物が発する声のようで、嫌らしさなんて1ミリもなかった。その後は全くセックスに縁がないのである。
また友人は「お前、人生それで楽しいのか?俺はソープに2回は行っているけど、人生を謳歌しているぞ」としきりに言うのだ。
そんなにも良いのか?娼婦だぞ、美貌の相手から、私のような「チー牛」は罵倒されるに違いないだろうと思っていた。
なおチー牛とは、チーズ牛丼を食べているような、根暗な男を指すネットスラングの意味らしい。
さらに正真正銘のブサメンなので、絶望的心理状況が私を追い詰める。リアルで出会えても嫌われてばかり、セックスは奇跡の確率。
そうか、ならば金を払ってでもプロフェッショナルの女に相手してもらうのも、一理あるのかもしれない。
そう思った私だが、友人の言葉が頭から離れなくなり、気づけばヘルスやソープを探していた。
ソープは入浴と称してはいるものの、本質はセックスが最後までできるらしい。確かに、挿入したくてもできない、オマンマンに入れられないのなら不完全燃焼になるのかも。なら、ソープしかないと検索を開始。今の時代はいいものだな、昔だとネットなんかなかったのだから。
探したところ、美女のいる店舗が沢山表示された。そうして選んだソープランドだが、「ピッチピチ」の若い子がいるのは、「チー牛」と馬鹿にされそうで怖かった。人妻ソープも、俺は結婚経験もないので、とにかく美熟女がいる店舗にこだわったのである。
選んだ店舗は30代からのプチ熟女がいるソープだが、私は黒髪ロングの清楚な女性が好きなので、条件に合致したAさんを選んだ。
Aさんは35歳、私よりも6歳年下のお姉様。一重で切れ目、だけども美貌に優れていて、私の気持ちを高揚させる。
実際に行くと店の前にボーイが居た。キャッチのようで「うちでどうですか?」と言われたので、「いや、予約をしているのだ」と跳ね除けて入店。受付を済ませ、待合室に入る。ガラの悪そうな客がいてこっちを見てきたが、なかなかうっとうしいものだ。
しかし「お待たせしました」のひと言から、ルームに進んで嬢とファーストコンタクトとなった際、少年時代に感じたようなときめきを覚えた。
「こんばんは。私を選んでくれてどうもありがとうございます」
しびれてしまった。美女が、正座をして私を待ってくれていたのだ。
「ぼ、僕でいいのなら、ど、どうぞよろしゅう」とコミュ障が全面に出てしまった。「もしや、お兄さん、初めて?」そうAさんは言い、私をルーム内にエスコートしてくれた。
「もう長い事ご無沙汰で、モテなくてどうしようもないのです」と率直に告げたら、「経験を沢山積んだなら、自信が持てるかも。お兄さん、自分が思うほどルックスは悪くないよ」と、フレッシュキスからディープキスへ。
マットへ移動し、ぬめぬめとした泡がまとわりつく彼女は、例えるなら神々しいマーメイド。美しいバスト、眼福極まりない脚が絡みつき、次いでは舌で全身を舐められた。
乳首・首・耳・背中、さらにはアナルまで舐められ、雷が落ちたほどのディープインパクトに息子はビンビン。そしてとろけるようなフェラを受けたのだが、「プロのお姉さんのテクニックがこんなにもすごいなんて!」と声を荒げエキサイトした。
「なら、おちんちんを入れたらもっと気持ちいいかもね」そう言った彼女は、スローモーションで見せつけるように私の愚息をアソコに入れたのである。騎乗位すら初経験だった私は、快感のあまりわずか2分ほどで射精してしまった。
「あら、そんなにも良かったかな?」と言われ、「Aさんを気持ちよく出来なかったから、申し訳ない気持ちでいっぱいです」と私は告げた。
だが、「私も感じたよ、良かった」と自分を立ててくれたのだ。これはもしや、おもてなしの精神?どうして私は友人の言葉をもっと早く聞き入れなかったのか。
後日「早く教えろ、馬鹿野郎(笑)」といったのだが「俺の言ったとおり、ソープは最高だろうが」と返され、言葉も出ないほど感謝したのであった。